ははになる

一女二男の母です。

次男1歳になりました。

我が家の第三子、次男が先日1歳になりました。

本当に1年なんてあっという間で、よちよちと歩く後ろ姿を眺めつつ

「もうすぐに赤ちゃんじゃなくなっちゃうな〜」と、若干名残惜しい母ちゃんです。

 

思えば長女(小6)が3歳のとき長男(小3)が生まれ、生まれたと思ったら

「あのね、うちにあと一人来る事になってるからね。お空の上で約束してきてるから。名前ももうあるからね。」と長女の謎発言があり、しかし待てど暮らせどその3人目はやってこず。

夫からは「うちは4人家族で完成。次は無いよきっと。」と言われ、実母からも「もう女の子も男の子もいるんだし、これ以上望んであんたが身体壊したりしたら元も子もないでしょう。」とも言われ、3人目ウェルカム!状態だった私もだんだん年を取り....。

ああ、もうあきらめなきゃ駄目な年頃かな〜と、思っていたところにひょっこり授かった次男。

おお!やっぱり娘の予言通り!!と感動しつつ、でもでも万が一夫に喜んでもらえなかったらどうしよう....周りにも歓迎されなかったらどうしよう.....と、一瞬頭の中がぐるぐるしました。今となっては取り越し苦労ですけどね。夫も義実家も実家もそりゃあもう次男にメロメロですから。

 

私は悪阻がきつくなりやすいのか、長女の時も長男の時もげろげろだったんですが、次男の時が一番きつかった。そして長かった!

まだはっきり妊娠か確認できないうちから具合が悪くなり始め、臨月に入ってもなお続く悪阻に「おいおい!どんだけ〜!?」と思わず突っ込みたくなりつつそんな元気も無いくらい。

吐き気だけでなく頭痛と息苦しさも加わるというトリプルコンボで、やっぱり高齢出産は甘くない....どうか無事に生まれますように!と祈るような気持ちで迎えた出産当日。

夫が「今日あたりで陣痛来てくれるとありがたいな〜。もう出てきていいぞ!今だ!ゴーゴー!」と、おかしなテンションでお腹に話しかけていたらほんとに来ましたよ。陣痛が。

 上の二人は予定日から大幅に遅れての出産だったため、今回も..と勝手に予想していたのですが、予定日前日に呼ばれた通りに出てきた次男。律儀だね。

 

生まれてからは家族皆に支えられながら私も順調に回復し、次男もすくすく育ち(若干小さめだけど)兄弟の誰よりも早く発達が進んで、できるいたずらもどんどん増えて、皆に幸せを振りまいております。

 

これから色々な事があるだろうけど、家族皆で乗り越えていきましょう。

みんなきみが大好きだよ。

毎日幸せをありがとう!

 

次男が喋り始める頃に「あのねお空の上で約束した子がもう一人....。」なんて言い出さないか若干心配だったりして。

 

追記

当時3歳の長女が言っていた次男の名前ですが、思いっきり外人名だったのでお腹の中に居る時だけその名で呼び、生まれてからは日本人!って感じの名前をつけました。

長女が言っていた名前は聞き慣れない呼び名だったので調べてみたところ、フランスの名前でした。

思春期娘との攻防

ウチの娘(小6)は思春期に突入しております。

世間や大人をちょっとだけ斜めに見たり、今まで当たり前に受け取っていた物事に疑問を持ったり不満を持ったり。

それはそれは教科書通りな成長の証。

大人になるためにはここをちゃんと通過する必要がある、私もあったわ〜と、わかっているんです。

 

でも、ちょっとしたことで(娘にとってはちょっとした事ではないのですが)ぷんぷんにふくれてしまったり、とげのある態度をとったり....。

こういうのが続くと周りの家族も疲れてきます。

 

ここでカチンと来てこちらも感情的になると、お互いに棘と棘でぶつかるだけでちっとも建設的に進めなくなってしまうんですよねぇ。

母VS娘に突入すると、ただでさえお姉ちゃんにあたられる長男(小3)は、もうおろおろうろうろするしかありません。ストレスではげるかもしれません。(笑

 

そんな高ぶった感情をいったん鎮めるために、

私は意識して思う事があります。

 

「ちゃんと元気で生きてるじゃないか」と。

 

夫も子ども達もそして私も、こうやってぶつかり合えたりするくらいにちゃんと元気に生きている。一番大事な事じゃないか、と。

すごく当たり前に受け取りすぎていて、それがどれほどの奇跡かという事を普段私は忘れています。

大きな災害や疫病や犯罪や事故などにあわず、今日も家族みんな元気で過ごせたのはすごくすごく幸せな事。

それをあえて思い出してから、目の前のイライラしている娘と向き合うと、なんだか笑っちゃうくらいにそのイライラも愛おしく思えたりするんです。

 

私がそうなると娘も娘なりに、いったん自分の部屋に行って気持ちに折り合いを付け、機嫌の良さを取り戻してたわいない話をしにきたりします。

 

もちろんそれで全て解決する訳ではなく、きちんと話し合いお互いに解決策を探さなければならない時もあります。

が、その話し合いの前提として少なくとも私は冷静でなければなりません。

どちらかと言うと気の短い私は、そこへたどり着くスイッチみたいのが必要なんだな〜と、子育て経験を積み重ねるうちだんだんわかってきました。

 

そう思ってはいても、あ〜やっちまったなって時もありますが。

ま、人間ですからね。

やっちまった事に気付いたら、なるだけ早くあやまってます。

 

 

 

 

 

夜中にパンを焼く

うちの長男(小3)は卵の食物アレルギーがあり、

給食で卵を含む物が出る日は代替え食を持たせます。

明日はパンの日。

妖怪パンを焼いてみました。なかなか思い通りの形にならず…;^_^A

息子に喜んでもらいたいという気持ちだけは、いっぱい入ってます。(*^o^*)

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娘の勉強から見えてくる過去の自分

我が家の娘は小6です。

中学受験とは無縁の田舎の小学校に通い、のんびり勉強生活です。

そんな環境故か、先生達も割とのんびりと言うか...あまり勉強勉強言われてこなかったのですね。学校からの宿題はほんの少し(これは担任によるところも大きいようですが)繰り返し学習は家庭任せです。

そして、小5のときの担任の先生は「勉強?何だよそれ?もっとみんな遊ぼうゼ!今をもっと楽しんじゃいなyo!」と、子供にとっては天国のようなことをおっしゃる方でございました.....(遠い目)

当然のことながら授業もそのようなスタンスで進められていたらしく、他のクラスと比べると、のんきな娘が危機感を抱くくらいになっていました。

 

「ヤバい私、わかってないかも」

と、焦った娘は他のよくできるお友達の学習法をチェックし、どうやらその子達はチ○レンジをやっていることを突き止め、「私にもチ○レンジで勉強させてほしい」と自分から願い出るという某社が聞いたら大喜びしそうな、よく送られてくるDMのマンガそのものみたいな流れになりました。

このようなお願いごと(教材等を自分からやりたいと言う)を娘が言うのは初めてだったこともあり、「自分できちんとやる事」を前提としての教材購入がもうすぐ6年生になろうとする3月でした。

 

始めのうちは張り切ってやっていた娘。

しかし、1回あたりにこなす量が少なめに設定されている事を甘く見て、だんだんとやらずにためる量が増えていくという負のスパイラルに陥るまで5ヶ月ほど。

私もその時々で声をかけてはいたものの、赤○ン先生の提出はこなしており、手のかかる乳児を抱えている事を言い訳にすっかりチェックが甘くなっていました。

 

そして、教材をやってない事が私にバレちゃったんですね。先月の事です。

 

これ、私の子供の頃にもあるあるでした。

見つかったときは母にこってりしぼられ、今度こそちゃんとやりますと誓うものの長続きしない....という。

同じ轍を踏ませたくないと思いつつ、これからはちゃんとやりますと誓わせとりあえずやっていなかったところをやらせる....と、私が母にされたと同じ事をやりましたよ。

でも、夫の反応は違いました。

帰宅した夫に事の顛末を娘から報告させ「これからはちゃんとやります」と言うも、

「やらずにいたという事は、いらないって事だ。明日すぐに解約しなさい。」

え?というぐらいあっさり。

 

お父さんの言う事は絶対という暗黙のルールを熟知している娘は反抗せず、ただぽろぽろ涙をこぼすばかりでした。頭の中では色々な事がぐるぐるしていたと思います。

夫のためにもお断りしておきますが、普段夫は「お父さん絶対ルール」を振りかざすような事はしません。どちらかと言えば私にきつく叱られた子供達をフォローするような人です。

子供達がやりたい習い事や欲しいものの購入を決める時、本当は私一人で「いいよ」と言ってしまってもよいのかもしれないけれど、あえてそこに「お父さんに聞いてみてからね」と入れる事で、多忙で普段子供達と接する機会が少ない夫も、生活の中にちゃんと重みを持っていられるようにと夫婦で決めて積み重ねてきた結果の「お父さん絶対ルール」なのです。

 

子供達が寝た後、夫の考えを聞くと「親は事教材に関しては強く出れないことが多い。もう勉強しなくなっちゃうんじゃないかって心配で。子供にもそれを見透かされるようになっちゃ駄目だ。勉強は自分のためにやるもんなんだから。だから今回解約することで、ちゃんとしないと困るぞときちんと感じて欲しかったんだ。」とのことでした。

これから先、娘が再びやりたい勉強(教材や塾など)が出てきたらちゃんと相談できるようにフォロー頼むね、とも。

 

このことがあった翌日、下校した娘と二人でドーナツ屋さんに行き二人でお茶しながら話をしました。夫に言われていたフォーローもちゃんとしました。

話していて分かったのは、教材をやっていても分からないところ苦手なところはあったこと、そこは自力ではどうにもならなかったが親に相談して教えてもらうという選択肢は選びづらかった。(次男(10ヶ月)を抱えて余裕の無い母、多忙な父に遠慮があった様子)

 

これは、私たちも反省です。勉強に限らず他のことも相談するのを遠慮しているかもしれません。上の子達は小さな弟がいることで私たちが思う以上にこちらを気遣っているのかもしれません。もっと子供達から発信しやすい環境を整えていかなくてはと思いました。

 

娘の苦手は図形でした。

ああ、こんなところまで母に似るとは......。

私も苦手でした。共働きで忙しかった両親は色々な教材を揃えてはくれましたが、一緒に勉強というのをした記憶はほとんどなく...。小学生の頃の私はと言うと「苦手なところも時間が経てばいつの間にかできるようになっているんだよね〜」という変な持論があり、今の娘よりももっともっとのんきでした。いつの間にかできるようになる、なんてのが通用するのは小学生までで、中学に入ってからとたんに困った記憶があります。

 

小学校の成績なんて当てにならない、というのは過去の自分を見ても今回の娘とのことを振り返っても思います。

だって、成績だけ見たら何の心配も無いんです。

いやいやいや、ちゃんと理解してないよ?定着してないよ??というところでも、です。

これって、田舎ののんびり校だからかな〜?

 

現在の状況としては、娘が取りこぼしてきた苦手を克服するべく、親子で膝を突き合わせて日々勉強....と言った具合です。

私が過去に置いてけぼりにしてさぼった分が舞い戻ってきた....のかな?

 

 

魔法の時間におぼれないために

使い方がいまいち分からないまま、試行錯誤で書いています。

読みにくかったらごめんなさい。

 

長男がスイミングに行き、家族みんなの昼食も終わり

夫を仕事に送り出し(夫は昼食のために帰宅します)ほっと一息。

 

10ヶ月の次男が機嫌良く遊んでいるうちに、更新を試みています。

 

タイトルにある「魔法の時間」。

これは、今まさに次男がこの時間のまっただ中にいます。

何をやってもかわいくてかわいくてたまらない時期。

 

もちろん、母の負担はどっぷりある時期でもありますが、

この「魔法の時間」本当にあっという間に過ぎ去っていってしまうんですよね。

 

我が家の長女は今、小学6年生。長男は小学3年生。

二人とも私の宝物ですが、「魔法の時間」というのとはちょっと違う時期にいます。

特に長女は、それなりに自分の考えが出てきて親のやり方に反感を覚えたり、

外の世界で試行錯誤したり、でも、まだまだ子供でもあり.....

という、いわゆる思春期。

 

こうなってくると、ちょっとした距離感も大事になってきます。

手は少しずつ離しつつ、目と心は離さずにおく....という。

 

で、長女長男の魔法時間は、あっという間に過ぎ去っていったな〜と思うのです。

過ぎてしまったからこそ思う、懐かしさ。

 

そして年が離れて次男を授かり、再び魔法の時間が手の中にある訳です。

 

この時間の終わりが見えていなかった、長女長男のときとは違い

「ほんの少しで過ぎていってしまうのだから」と、どっぷり魔法の時間に浸りきっていた訳ですよ。自分の限界を考えずに。

 

自分の時間が全くと言っていいほど無くても、

夜間の授乳で寝不足でも。

そこに、上の子達の諸々がかさなっても。

 

今だけだから。ほんの、この一瞬だけだから。ってね。

幸せな時間に我を忘れて(長女のときから11年も年取ってることとかね)

突っ走ってしまったのです。10ヶ月。

 

そして限界はある日突然。

些細な事をきっかけに、ボロボロ涙が止まらんのですよ。

夫が仕事に行った後、次男と二人っきりの部屋でそりゃあもう久っさしぶりに

声を上げて泣くという事態になってしまったのです。

 

ごめん次男。

凄く不安だよね。

大切で大切でたまらない君の事を、こんな不安にさせてしまうなんて、

だめだ私。と、負のスパイラルですよ。

 

このまま家にこもっていても駄目だと思い、

とりあえずその辺の物をかばんに詰め込み、ふらふら〜と次男を車に乗せて家を出ました。

 

そしてコンビニによって、ワッフルとおいしいコーヒーを買い、

ちょっと遠くの公園へ。

 

次男に離乳食を食べさせつつ、私もコーヒーを飲みワッフルを食べ、

(そう言えば朝から何も食べてないし、飲んでなかったな)とか思いつつ、

次男と公園内を散歩。

 

小さな子供達とそのお母さん達が遊んでいました。

あ〜みんながんばっているんだな〜と思いつつ、次男にドングリを拾ってやると

目をキラキラさせて大事そうに握っています。

さっきまでの不安な顔が嘘みたい。

 

そうして、ふらふらして、ちょっと次男の服なども買って帰宅。

上の子達が帰ってくる頃には、また元気なお母ちゃんに戻っていないといけません。

これ以上、不安な子供を増やしちゃいけない。

 

子供達と一緒に温かい夕食を食べ(夫は帰宅が遅いので後で)

お風呂をすませ、長男の学芸会の稽古に付き合い一緒に踊ったりしながら、

私もだんだんと元気を取り戻していったのです。

 

もうね、何やってんだ?ですよ。

もっと早くに息抜きしときなさいよ。と。

自分の限界すら見えてなかった自分にね。

 

子供達がかわいくてかわいくて、私がやってあげられる事、手を離した方がいい事、

ちゃんと見極めつつ色々したくて、でも、夫は多忙で。

そんな夫の事も、ちゃんとサポートしたくて。

一人でちゃんとしなきゃ、と、突っ走る。

 

ごめんなさい。苦しかったよね、自分。

これからは、もう少し溜め込まないうちに気がついてケアします。

と、今更ながら気がついた一昨日でした。